山武ハネウェル事件

 山武ハネウェル(現山武)は、ビルなどの空調機器などの自動制御装置を製造販売する大企業であり、米国ハネウェル社との技術提携をし、資本的な関係も有していた。同社では、かつて全国金属労働組合(旧)に所属する戦闘的な労働組合が存在し、賃金・労働条件について、相当の成果を上げていた。こうした労働組合の活動を嫌悪した会社側が、労働組合の変質を図るために、1972年に「R-Kマスタープラン」という組合転覆計画書を作成し、それを実行していった。1975年には、労使協調路線のインフォーマル組織が公然化し、会社の支援のもと、労働組合の役員を独占するに至った。その過程で、会社は、戦闘的な労働組合活動家について、賃金や人事上の昇格において、計画的に不利益取り扱いを続けた。

 組合の変質後に、排除された組合活動家の元に、上記「R-Kマスタープラン」のコピーが差出人不明で郵送されてきて、会社の不当労働行為の全貌が明らかになった。

 こうした不当労働行為意思の直接証拠と、組合活動家に対する露骨な差別取り扱いが公然と行われている事実に基づき、会社の労働組合への支配介入の排除と、組合活動家に対する差別の是正を求めて、労働組合法の不当労働行為の救済申し立てをおこなった。工場が、神奈川県と東京都大田区に分散することから、神奈川県労働委員会(1986年11月)と東京都労働委委員会(1987年1月)に申立を行った。神奈川の申立人は29名、東京の申立人は18名、合計47名の大型争議となった。

 会社は、当初「R-Kマスタープラン」の作成への関与を完全に否定していたが、89年1月に申立人側が、会社の旧人事関係文書の筆跡と、同プランの筆跡が同一であるという筆跡鑑定書を提出するや、会社の人事部員が同プランを作成したことは認めるに至ったものの、今度は、個人的に作成されたものであり、実際には実行に移されたものではないという苦しい答弁をするに至った。

 申立人側からは、神奈川で5名、東京で6名の証人尋問を行い、452通の書証を提出して、91年1月に神奈川地労委において先行的に結審した。

 その後、救済命令と両にらみをしながら、神奈川地労委で和解・斡旋が進められ、都労委においては、93年3月に結審する中、同年9月に最終的に神奈川地労委から斡旋案が示され、同年11月に勝利的な解決を迎えた。

 和解の内容は、資格・職能給及び賃金について申立人全員を是正すること、今後の処遇に関しては「賃金・資格・職能等級の決定に当たっては公正・公平を旨とすることを確認する」、職場差別の是正と、相当額の解決金の支払いというものであった。

 労働組合活動への会社の介入と、積極的な活動家に対する差別取り扱いという典型的な不当労働行為であったが、秘密文書の曝露、露骨な差別実態の立証を通じて、勝利を確信するなか、労働組合活動の自主性を取り戻す観点からしても、大きな意義のある勝利といえる。